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水戸地方裁判所土浦支部 平成11年(わ)166号 判決 2000年2月18日

主文

被告人を懲役六年に処する。

未決勾留日数中二二〇日を右刑に算入する。

理由

(被告人の身上・経歴及び犯行に至る経緯等)

被告人は、大阪府に住む両親のもとで育てられたが、小さいころから短気な性格で、小学校五、六年生のころから中学生を相手に喧嘩をするようになり、また、中学校時代は真面目に登校せず、午前中喫茶店で時間をつぶしてから登校するといった生活を送っていた。その後、被告人は、昭和五二年四月、大阪府立高校に進学し、在学中に、窃盗事件を起こしたり、暴走族に所属したりしたため退学処分になりかけたことがあったが、何とか同校を卒業した。

高校卒業後、被告人は、大阪市内でホテルの調理師などとして稼動していたが、昭和六〇年八月に最初の結婚をし、そのころから工員として会社に勤めるようになったものの一年位で辞め、その後パチンコなどをして遊び暮らしているうちに知り合った的屋から紹介されて、芸人や歌手等を全国の劇場等に斡旋派遣する興行師として働くようになった。そして、被告人は、最初の妻との間に二人の娘をもうけたものの、平成四年四月に協議離婚し、長女の花子(以下、「花子」という。)を引き取り育てることとなった。

その後、平成八年一二月ころ、被告人は、興行先で丙野冬子(以下、「冬子」という。)と知り合って交際を始め、平成九年一月ころから、大阪府大阪狭山市内において、同女とその長男の一郎(平成五年一〇月八日生。以下、「一郎」という。)及び花子とともに暮らすようになり、同年一二月には冬子との婚姻届をするとともに、一郎と養子縁組をし、しばらくの間、被告人の母親のマンションで生活したが、その後妻子とともにここを出て、母親と別れて生活するようになった。

ところで、被告人は、再婚して母親のマンションで生活するようになったころから、当時三歳の一郎が寝小便をしたり、言い付けを守らなかったりすると怒ったり体罰を加えたりしていたが、母親と別居するようになってからは、子供を厳しくしつけると称して、主に一郎に対して、前よりいっそう叩いたり殴ったりするようになり、そのため、同人の身体には火傷や痣等の生傷が絶えない状態であった。また、被告人は、一郎のみならず妻の冬子に対しても些細なことから度々暴力を振るっていたため、耐えかねた同女は、一郎の通っていた保育所に保護を求めたり、富田林子ども家庭センターのケースワーカーに相談するなどし、同年一一月に被告人から家を追い出された際には、一郎とともに八尾母子ホームに避難したが、一〇日余り経ってから被告人が迎えに来たため、一郎とともに帰宅することにした。このようなことがあってから、被告人は、しばらく暴力を控えていたが、半年ほど経つと、再び一郎に対し、殴る蹴るの暴力を振るい始めたほか、ベランダに正座させたり食事を与えなかったりするようになった。

また、被告人は、いわゆるサラ金から借金をして、競輪、競馬、パチンコなどのギャンブル等に使い、借金の額が冬子名義の分と合わせて約二〇〇万円位になり、その返済に窮したことから、平成一〇年夏ころ、一家で夜逃げ同然に大阪を離れて関東方面に移り住むことにしたが、その移動中に宿泊したホテルにおいて、言うことをきかない一郎を水風呂の中に入れて折檻し、同人を溺れかけさせたことがあった。被告人は、以前から、一郎が自分になつかず、言うことを聞かないため、自分の娘の花子と比べて可愛くないと思っていたが、右の水風呂の一件があった後は、一郎がますます被告人になつかなくなったため、被告人も、一郎を憎らしく思うようになった。

こうして、被告人は、同年九月ころから、茨城県水戸市内のマンションに妻子とともに住み、同市内で新聞拡張員として働くようになったが、そのころから、被告人の一郎に対する虐待行為は激しさを増していった。そして、同月中旬ころ、被告人が、言うことをきかない一郎をまたもや水風呂の中に入れて正座させた後、居室内に連れていって殴打し、その弾みで家具に身体をぶつけるなどして気を失った同人の頭部にポットの熱湯をかけるなどの暴行を加えて、同人に急性硬膜下血腫等の傷害を負わせ、このため、同人は、同市内の病院に九日間入院した。その際、親による幼児虐待の疑いを抱いた医師らの通報により、水戸児童相談所が、被告人に対して一郎を虐待していたとしてその一時保護を申し出たが、被告人はそのような事実はないとして、右申し出を拒否した。

被告人は、同年一一月ころ、勤務先を変え、同県土浦市内で新聞拡張員として働くことにし、一家で同県取手市白山<番地略>所在の△△マンション三〇一号室に転居したが、このころから被告人の一郎に対する虐待行為は更に激しくなり、ことに食事に関しては、家族そろって夕食を食べるときにも、同人にだけは子供部屋で残り物を一人で食べさせたり、時には一日中何も食事を与えない場合もあった。そのため、一時は二〇キロ近くあった同人の体重は十四、五キロにまで減少し、空腹に耐えかねた同人が近所の食料品店でパンを万引きしたことさえあった。また、被告人は、家族で外食などに出かける際にも、一郎一人を子供部屋に残し、留守中に同人が冷蔵庫の中の物を食べることができないようにするため、子供部屋に鍵をかけて出られないようにしていた。

母親である冬子は、このような状況に胸を痛めていたものの、被告人に逆らって一郎を庇うと、自分まで暴力を振るわれるばかりか、被告人の一郎に対する虐待行為がより激しいものになることを恐れ、それよりも同人が被告人の言うことをきくようになればよいのだという気持ちから、結果的に被告人に同調して一郎を叱りつけるようになっていった。

(犯罪事実)

被告人は、平成一一年四月五日午前八時過ぎころ、一郎及び冬子との間にもうけた生後約三か月の子を前記△△マンション三〇一号室の自宅に残し冬子や花子らとともに外出したが、いつもは子供部屋に鍵をかけて一郎が出られないようにしておくのを、この時はたまたま鍵をかけ忘れたため、同人は、被告人らがいなくなると、空腹の余り台所に行って冷蔵庫の中を漁り、レトルト食品のカレー等を見つけてこっそりと食べた。

被告人は、同日午前九時一五分ころ帰宅し、一郎が留守中に盗み食いをした痕跡を認めるや立腹して、台所において、「何でそんなことしたんや。何で言うこと聞かんのや。」などと同人を怒鳴りつけながら、力をこめてその顔面を数回にわたり平手で殴打し、その弾みで同人を転倒させて後頭部等を床面に強く打ち付けさせた上、腹部付近を足蹴にし、さらに、泣きながら「お父さんごめんなさい。」と謝る同人を浴室に連れてゆき、その身体を持ち上げて空の浴槽内に放り投げ、その頭部等を浴槽内壁面等に打ち付けさせた上、その顔面を数回にわたり平手で殴打した後、浴槽内に正座させた同人の頭からシャワーの水をかけ、途中で同人の服を脱がせて全裸にし、その肩付近まで水を溜めるなどの暴行を加え、よって、同人に硬膜下血腫等の傷害を負わせ、同日午前一一時三七分ころ、同市本郷<番地略>所在の取手協同病院において、同人を硬膜下血腫を伴う脳腫脹により死亡するに至らしめた。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

罰条 刑法二〇五条

未決勾留日数の算入 刑法二一条

訴訟費用の不負担 刑事訴訟法一八一条一項ただし書

(量刑の理由)

本件は、被告人が、再婚した妻の連れ子である幼い被害者を約二年間にわたり虐待し続けた上、激しい暴行を加えて死亡させたという犯情の極めて悪質な事案である。

すなわち、被害者は当時三歳ないし五歳の年端もいかない幼児であって、寝小便をしたり言い付けを守らなかったりすることがあったとしても仕方のないことであって、これを落ち度ということはできないにもかかわらず、このような幼児に対して、被告人は、先に判示したとおり、約二年間の長期間にわたり、しつけという名目で、被害者に対して、身体に痣が残るほどの強い体罰を加えたり、水責めにしたり、熱湯を浴びせかけて火傷をさせたり、満足に食事を与えないといったような、およそ常識では想像もできないような虐待行為を日常的に続けたものであり、正視に堪えないほど痩せ細り傷だらけになった遺体の状況が、これまでの虐待行為の苛酷さと被害者の苦痛の大きさを物語っている。被告人のこのような行為は、被害者に対する憎しみからなされたものと認められ、本来のしつけとは無縁のものであり、また、しつけという名目を使ったからといってそれが何ら正当化されるものでないことはいうまでもない。

そして、被告人は、このような長期間にわたる虐待行為を繰り返した挙げ句、満足に食事を与えられず腹を空かせていた被害者が被告人らの留守中に勝手にカレー等を食べたことに腹を立て、感情の赴くまま本件犯行に及んだものであり、動機において酌むべき余地は全くない。

また、犯行態様は、体力的に圧倒的に優る被告人が、幼く、やせ細った被害者に対して、何ら同情や憐れみの感情を抱くことなく、力をこめてその顔面を殴打したり、泣きながら謝る同人を浴室に連れてゆき、その身体を持ち上げて空の浴槽内に放り投げたり、水責めにしたりしたものであって、冷酷非情で残忍な犯行といわざるを得ない。

加えて、このような凶行の犠牲となった被害者は、当時五歳という育ち盛りの年齢であり、本来なら両親から十分な愛情と栄養を与えられて然るべきであるのに、養父である被告人の手によって、日常的に激しい虐待行為を受け、口答えはおろか実母に助けを求めることさえできないままおびえながら生活し、短い人生を終えるに至ったものであって、まことに哀れというほかはなく、犯行の結果が重大であることはいうまでもない。

のみならず、被告人については、短気で粗暴な行動傾向や、自己中心的で身勝手な考え方をする傾向が顕著である上、他人に対して暴力を振るうことについての罪悪感は鈍麻していると認められ、本件犯行は、このような被告人の性格ないし人格上の問題点を背景にして、起きるべくして起きたものと考えられ、単なる偶発的な一過性の犯行とは著しくその様相を異にしていることは、先に判示した犯行に至る経緯に照らしても明らかである。そして、このような性格ないし人格上の問題点を矯正するには長い時間が必要であり、容易なことではないと考えられる。

そのほか、最近幼児や児童に対する虐待事件が増加している状況下において、本件犯行が幼児虐待の最たる例として報道されたことにより社会に大きな衝撃を与えたことに照らすと、本件の量刑を考えるに当たっては、同種犯行の再発を防ぐという一般予防の観点にも十分配慮する必要がある。

以上の諸点を総合的に考慮すると、被告人の刑事責任は重大であり、厳しい処罰をもって臨むのが相当であると考えられる。

したがって、被告人は、事実関係を認めていること、いまだ本件犯行を心の底から反省悔悟しているとまでは認め難いものの、公判の最終段階において、被害者や関係者らへの謝罪や反省の言葉を述べていること、本件犯行には計画性までは認められないこと、被告人には三人の子があること、兄が被告人の更生の一助となる旨約束していること、懲役刑に処せられた前科は一犯あるものの執行猶予期間は無事経過していることなど、被告人のために酌むべき諸事情を十分に考慮してもなお、主文の刑は免れないものと判断した。

なお、弁護人は、被害者に対する虐待を察知していながら本件犯行を未然に防止できなかった警察や児童福祉関係機関等にも手落ちがあった旨主張する。

なるほど、右のような関係機関において、本件のような悲惨な事件の再発を防ぐための善後策が早急に検討される必要があることは確かであり、また、事件の全容がほぼ明らかとなった現時点から振り返って考えれば、関係機関の対応如何によっては本件はあるいは未然に防ぐことができたのではないかと考える余地があるとしても、関係機関は、被告人らとの対応に当たった当時においては、先に犯行に至る経緯として判示したような事情を全部知り得たわけではないことなどからして、その対応に格別落度があったとまでは認められない。そして、何よりも、関係機関が被害者を救助できなかった主な原因は、被告人が事実を糊塗して関係機関の介入を拒んだ点にあるのであって、幼児虐待に関する行政機関の対応等に改善すべき点があるとしても、それゆえに被告人の刑事責任が軽減されると解する余地はないから、右主張は失当というべきである。

よって、主文のとおり判決する。

(求刑・懲役六年)

(裁判長裁判官・山嵜和信、裁判官・太田剛彦、裁判官・木野綾子)

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